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汗だくサイクリング
グアムやサイパンといった日本から近いリゾートには、あまり添乗の仕事がない。少なくとも私にはめったに依頼がない。理由はいくつか考えられるが、自由行動が多い、日本語が通じる、大きな団体で行くことが少ない、添乗員があてにならい、まあこんなところだろうか。
 そんなグアムに久しぶりに行ってきた。江戸川の鉄工所の社員旅行だ。男性ばかりなので、一見マニラ行きの団体のような風情ではあったが、結構皆さん海外旅行慣れしてて、リゾートを満喫していた。
 あまり観光をする土地柄ではないので、滞在中のほとんどの時間は自由行動になる。お客様の自由行動は、添乗員にとっても自由行動になる場合が多い。ただしここでプールサイドで寝そべって過ごしてる奴は、優秀な添乗員にはなれない。いつもの私はそうだった。でも今回は違う。
 実は私には重大な任務があったのだ。お客様から打診のあった、ある施設を下見に行かなければならなかったのだ。その施設がどういった内容のものであるか、ここで明かすわけにはいかない。ただそこに行ったことを、あまりヒトには話したくない、という程度の施設である。
 そこはホテルが並ぶタモンビーチのエリアではなく、丘を一つ超えた、何もないような一帯にある。宿泊しているアウトリガーホテルからは5kmほどありそうだ。
 そこで問題になってくるのが交通機関だ。歩いて行くのは無理そうだし、タクシーで行くのは恥ずかしい(そういう施設なのだ)。バスがあるとも思えないし、さてどうしたものかと考えながら歩いていると、「モーター付自転車」ののぼりが立っているではないか。この暑さで自転車をこぐのは悪い冗談になるが、モーター付なら楽そうだ。
 早速その自転車屋に入ってみると、東洋系の美人のおネエさんがいろいろ説明をしてくれる。アメリカ本土から来たのか、完璧なきれいな英語で、従ってよく判らない。バッテリーの残量を確認して、約3時間は大丈夫であること、こがなくてもモーターだけでも走れること、などを教えてくれる。
 3時間ほど借りることにして軽快に店を出た。スピードはせいぜい15kmくらいだが、ゆるい坂道もらくらく登っていく。なかなか快適である。丘の上のヒルトンホテルで休憩がてら、海を眺めながらアイスティーを飲む。任務を忘れそうである。
 ヒルトンホテルから先は長い下り坂だ。南国の風は気持ちいい。車の数も少なく、人通りもほとんどない。時々小さなスーパーや、車のディーラー、倉庫などがある程度だ。暇そうな若者が数人しゃがんでいる。自慢げに鼻歌なんぞを歌いながら通過するが、誰も興味を示さない。哀れな奴らだ。
 なんの苦労も無く目的地に到着。店の雰囲気を視察し、細かな条件を聞き出し、あとで多数のお客様を連れてくるかもしれない旨を伝え、それでは私も少々くつろいでいくかと値切り交渉をしたら、今はいっぱいとのこと。
 仕方なくホテルに戻ることにする。レンタル時間はあと2時間あるし、夕食の集合時間にも3時間ある。行きとは別の道を通って帰るか、などと思案しながらモーター付自転車のキーをオンにする。
 いままではキーをまわすとランプが点いたのに、今回は何の変化もみられない。繰り返し何回かやってみたが、状況は変わらない。バッテリーが切れたのだ。あのネーちゃんは3時間持つといったのに、わずか1時間でなくなってしまったのだ。ペテンにあった。あんな女を美人と思った自分が恥ずかしい。
 仕方ない、こいで帰ろう。モーターは動かなくても自転車は自転車だ。こげば前へ進むはずだ。颯爽と下ってきた道を、今度はえっちらおっちらこいで行かなければならない。ギアーチェンジみたいな装備はないので、結構ペダルが重い。モーター付自転車のモーターなしは、普通の自転車より重いのだ。
 道半ばでこぐのを断念して、押して歩く。こんなに暑い中で自転車を押している自分が情けない。先程の暇そうな若者の前を通る。さっきは何の興味も示さなかった彼らが、今度はこちらを指差し笑ってる。くやしい。
 自転車屋に着いたら文句を言ってやらねばならない。バッテリーが1時間しか持たなかったこと、グアムの道は坂が多いこと、気温が35度はあること、そして任務が完全に遂行されなかったこと。自転車を押しながら英作文をする。いつも持ち歩いてるコンサイスを持ってこなかったことを後悔する。
 苦節90分、やっとのことで自転車屋に帰ってきた。ネーちゃんはいなかった。それどころか店自体閉まってる。張り紙がしてあり、裏のホテルのフロントにキーを返してくれと書いてある。指示通りキーを返したが、どうもむしゃくしゃする。張り紙に書いてあった電話番号にかけると、どうも本人がらしい女性の声が聞こえたので、英作文の成果を披露する。返ってきた答えは「こぎながらで3時間持つって言ったでしょう」だって。
 この夜の焼肉は抜群にうまかった。

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恐怖の撮影男
知り合いにプロのカメラマンがいる。彼とはベトナム、タイ、ハワイへ一緒
に行ったことがある。撮影の仕事ではないのだが、いつもカメラは手放さない。
一眼レフカメラと交換レンズ数本の他に、サブ機として高級コンパクトカメラ
を持っている。
 フィルムも尋常ではない数だ。50本、もしかしたら100本。24枚撮り
で50本持参したとしても1,200枚分になる。したがっていつも撮影して
いる感じになってしまう。
 サムイ島のディスコへ行った時も、コンパクトカメラを右手に持ち、ファイ
ンダーを覗くこともなく、踊りながらバシバシ撮っている。あんなにいい加減
に撮っていてうまく仕上がるのかと不思議に思ったものだが、出来上がった膨
大な数の写真を見せていただいてびっくりした。ろくな写真がないのだ。
 そのとき初めて気がついたのだが、もちろんプロなのだから我々よりはるか
に腕が良いはずだが、それ以上に撮る枚数が違うのだ。たくさん撮った写真の
中には結構良いものが混じっているというわけだ。
 まあこれはいくらか前の話で、今の世の中はデジカメ全盛だから、失敗した
ものはどんどん削除できるようになったが、かといって撮影する労力や時間は
フィルムカメラと変わるわけではない。それに画像の芸術性を追求するとなる
と、やはりプロは今でもフィルムカメラを多く使っているようだ。
 さてここから登場するのが今回の主人公、東京在住のJ氏である。
 彼は事務機関係のサービス部門にいるサラリーマンである。40台半ばで独
身ということもあり、趣味はパソコンにデジカメ、ケータイに海外旅行、傍目
には優雅なシングルライフと言えなくもない。
 J氏とは何度海外に行ったことだろうか。もともとパソコン以前の彼はとん
でもない記録魔で、例えばタイの田舎で列車に乗るために駅に行ったとき、駅
名表示の看板をカメラにおさめたのは良いのだが、表側だけでは飽き足らず、
裏側も撮影して他の参加者からとても感心されたりした。
 それでもフィルムカメラ時代の彼は、普通の人よりちょっと多めに撮ってい
るかな?位だったのだが、いよいよデジカメ時代の到来を迎え、彼の天下が訪
れた。枚数を気にしなくて済むようになったのだ。
 2003年6月、極東ロシアのウラジオストックを旅行したときも、彼の才
能が余すところなく発揮されたといって良いだろう。なんと3泊4日の旅で動
画も含め600枚撮ったのだ。
 3泊といっても初日は夜着で、最終日は午前発なので、実質中2日である。
想像してみてほしい、2日で600枚というのは、印象としてはいつも写真を
撮っている感じになる。
 では何を撮っているのか?
 まずは航空券である。航空券、パスポート、荷物札、そんなこんなを丁寧に
撮る。ガイドの名刺の表裏、機内食に始まって旅行中食べたすべての食事と飲
み物、お土産の数々、リコーのウラジオストック代理店の看板、列車の灰皿、
列車に乗り合わせたロシア娘のおへそ、レストランのウエイトレス、飲んだビ
ールの王冠、タクシーのメーター、ホテルの部屋のトイレ、シャンプー、クロ
ゼットの中、フロントで手続きをする私の後姿、撮影禁止のウラジオストック
空港...。
 まあ気がついたありとあらゆるものを撮るのである。
 最初のうちは面白がって、「これを撮ったらどうか」などとアドバイスをして
いた他のお客様も、だんだんと無口になっていった。こいつへたをするとスパ
イと間違われるのではないか。そんな不安がよぎり始めたのである。
 ウラジオストックは新潟から1時間半で着く結構身近な海外だ。たまたま北
朝鮮の船が新潟港に寄港しなくなったりという話題の時で、新潟空港は北朝鮮
へ行く人で賑わっていた。ウラジオストックで乗り換えると、その日のうちに
ピョンヤンに着けるという便があるのだ。
 街並みはヨーロッパの田舎そのもので、歩いている人たちも白人がほとんど。
ソ連崩壊後は食料品も結構豊富で、行動も自由に出来る。昔のガイドブックに
書いてあるような、レストランに行っても、膨大なメニューの中で出来る料理
は2種類のみ、みたいなこともなかった。日本から一番近い西洋と言っていい
だろう。われわれの業界で、最もこれから楽しみなディステネーションと目さ
れているのもうなずける。
 しかしそんな開放的になってきたロシアでも、入国手続きはいまだにソ連時
代を引きずっているような印象だった。まず日本でビザを取るのにも数々の書
類が必要で、時間がかかり、また費用もかかった。入国書類は一字も訂正して
はいけないと言われ、結構緊張しながら記入したのだが、飛行機で隣り合わせ
たネエちゃんは、「あらワタシまた間違えちゃった〜」などと言いながらバン
バン訂正していたが、無事入国していた。まあ昔より寛大になったということ
だろうけど、その入国審査が2度もあるのだ。イミグレーションとパスポート
コントロールに分かれている。普通は一緒じゃないのか?
 そんな空港でも彼は撮影を試みるのであった。もちろんファインダーを覗い
たら、捕まってしまうだろう。手のひらに載せて、低い位置でそっと撮影する
のだ。これは田代某が階段で女性を狙ったあの方法である。
 彼のおかげで退屈しない旅行が楽しめたが、実はそのとき私を含め全員ウラ
ジオストックが初めてだった。帰国後参加した方々と思い出話をするわけだが、
どうもみんな今ひとつ街の印象が薄いようなのだ。どうも景色を見ないで、J
氏ばかり見ていたようだ。


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ナイトクラブは300円
 1994年のカンボジアといえば、国連の暫定統治から独立したての頃だ。
独立したとはいっても、首都プノンペンでは武器狩りの検問をやっていたり、
タイとの国境付近にはポルポト派の残兵がいたり、道を外れると地雷注意の看
板があったり、まあちょっときな臭く、物騒な国だった。
 そんな所でも、一度はアンコールワットを見てみたいという好奇心旺盛なお
客様で、そこそこ賑わっていた。アンコールワットはシェムリアップという町
の郊外にあるが、当時シェムリアップへは、タイのバンコックから一旦プノン
ペンへ飛び、そこから国内線で行くしかなかった。いまではバンコックやホー
チミンシティーから直行便があるし、シーズンになれば日本からダイレクトに
行けるチャーター便もある。
 宿泊施設もショボいホテルしかなく、グランドなんかも床はしみだらけ、バ
スタブもなく、なんだか埃っぽい部屋だった。いまじゃラッフルズの運営で、
クレアあたりで最も採り上げられそうなおしゃれなホテルになっているが。
 早い話がシェムリアップという町は田舎で、世界有数の観光資源を抱えなが
ら、まだ受け入れ態勢は十分ではなかったということだ。
 この地に足を運ぶ人というのは、やはりアンコールワットが目的である。リ
ゾートライフやショッピング目的の人はやってこない。実は私は遺跡とかにそ
れほど興味がない。嫌いとかではなくて、うまく表現できないが、昔のものよ
り今のものの方が好きなタイプなのだ。寺より市場みたいな感じだ。ついでだ
が、自然にもあまり関心がない。自然が織り成す風景より、そこにいる人間の
ほうが面白い。こうした感性は添乗員としてあまり褒められるものではない。
 その私がジャングルの中から現れたアンコールワットを見た時、思わず鳥肌
が立ってしまったのだ。別に寒かったわけではない。アンコールワットはマイ
ブームみたいのがあって、この頃約10回にわたってお客様をご案内したが、
行く度に感動できた。
 建造物の大きさや荘厳さ、左右対称の美、日本人好みのちょっと苔むしたよ
うな色合い、彫刻やレリーフの美しさ、そしてなによりこの巨大な建造物が密
林から発見されたというミステリアスな世界。砂漠のピラミッドも悪くないが、
湿った東南アジアの空気が日本人に合っているのかもしれない。やはり日本と
東南アジアの国は、ある程度理解し合える共通の感覚があるように思う。イン
ド以西はまったく住んでいる世界が違う異文化の地。そういったこともあるか
もしれない。
 そんなアンコールワットの感動をかみしめ、皆さんでホテルのレストランで
食事を摂っていると、参加者の中でただ一人、遺跡に興味が沸かないタイプの
おじ様Tさんが、「どこかナイトクラブにでも飲みに行かないか」と言うのだ。
ここをどこだと思っているのだろうか。ナイトクラブなら帰りにバンコックに
寄った際に行けば良いではないか。「さっきバスから怪しい灯りを見た」とも
おっしゃる。事前調査にも余念がない。
 実はその怪しい灯りは私も気になっていた。あれはただのレストランではな
さそうだった。しかしここはシェムリアップだぞ。ナイトクラブに行くような
観光客も少なそうだし、ましてや地元の人がそんなところにいくか?
 こういった状況におかれたときは、まず行ってみることにしている。早い話
興味があったのだ。そうだ寺より市場、自然より人間だったではないか。自分
のポリシーを曲げぬためにも、ここはTさんの顔を立てていくことにしよう。
 ガイドのF君はプノンペンから同行してくれていた日本人だったが、夜の道
は危ないので、歩いていかずバイクタクシーで行こうということになった。彼
は遺跡の説明が抜群に上手だったが、ナイトクラブの案内は得意ではないよう
だった。ホテルから500mくらいしか離れていなかったはずだが、場所を説
明するのにちょっと苦労している。
バイク3台で行くつもりだったが、途中で離れ離れになってはいけないとい
う配慮もあってか、バイクの横にサイドカーとしてリヤカーをつけた変な乗り
物を見つけてきた。どうも人間を乗せるシロモノではなさそうだ。このリヤカ
ーにいい男が3人しゃがんで乗って、いそいそとナイトクラブへ向かったのだ。
Tさんと私が目撃した灯りはやはりナイトクラブだった。中に入ると生バン
ドというか、民俗音楽を奏でる楽隊がいて、民族衣装を着た女の子が歌を唄っ
ている。これはよくある観光客用の民族舞踊ショーの類ではない。当時カンボ
ジアではそういった音楽しかなかったということだろう。
ほとんどステージしか見えないくらい真っ暗で、どうもホステスらしい、チ
ャラチャラしたドレスを着た女の子が行ったり来たりしているの。なぜかテー
ブルに並びきれないくらいの料理を食べている、子供連れのファミリーがいた
りする。
いちばん後ろの方の席しか空いてなくて、そこはすぐ後ろがホステスたちの
控え席になっており、入れ替わり立ち代り後ろから肩をたたかれることとなっ
た。「私一緒に飲んでもいい?」なんて言っているのかもしれないが、なにせ
言葉が通じない。F君に通訳を依頼すると、どうもホステスはベトナム人が多
いみたいで、F君も良く解からないという。
それにしてもこのホステス達、室内が真っ暗なせいで、いすに座っている時
はまあまあ美しく見えるのだが、肩をたたかれるくらいの距離に来ると「今ち
ょっと忙しい」と言ってお断りするしかないような、ちょっと怖い世界があっ
た。
さてドリンクだが、Tさんはビール、私とF君はアルコールがだめなので、
コーラをオーダーした。30分ほど過ごし、さして面白くもないので帰ること
にした。F君に会計を依頼。追加オーダーをしなかったので、缶ビール1本と、
缶コーラ2本である。F君は栓を抜かずに飲まずにいたのだが、なんと返品が
きくらしい。
こういった一見の店では勘定が怖い。昔パリのピガール広場で10万円くら
い請求されたことがあるがここでは触れない。日本でも知らない街で、知らな
い飲み屋に入るのには勇気がいる。ましてや海外である。外人相手のボッタク
リは何度も経験済みだ。
震える手で請求書を見た。$2.80。
一瞬$280かと思った。なんと勘定は300円だったのだ。どこの世界に
女性がいて生バンドの演奏がついていて、3人で300円のナイトクラブがあ
るだろうか。3人はその話題で大いに盛り上がり、再びリヤカーにしゃがんで、
ホテルへ帰るのだった。
いまではシェムリアップはナイトクラブや変なマッサージ屋のネオンに溢れ
ている。

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牡蠣は生に限る
牡蠣は冬に食べるものといったイメージ強い。若狭湾の牡蠣は夏がうまいとかの例外はあるにせよ、燦燦と輝く太陽の下、吹き出る汗をぬぐいながら摂取といったイメージではない。ましてや灼熱のタイで牡蠣、それも生でとは。
 タイ料理に牡蠣のオムレツがあるのは知っていた。ちょっと小ぶりのぷりぷりとした牡蠣がなかなかおいしく、味の濃いタイ料理にあって、誰でも食べることのできそうなさっぱりとした出来になっている。台湾でもよく屋台などで見かけるので、おなじみの一品といえるだろう。
 問題は生の牡蠣である。
 あれはもう10年以上前のことになるが、ある大手水産会社のツアーの添乗をしたときだ。日本全国の卸業者、つまりは大口のお客様にタイで製品が作られる現場を研修していただこうという趣旨のツアーだった。海老の養殖池や海老フライの工場見学などが盛り込まれていた。
 現地の業者も熱烈歓迎モードで、工場見学の後に昼ごはんのご接待が設営されていた。といっても工場はバンコックのはるか郊外で、一流のレストランはなく、とりあえず冷房はつけてみました、みたいな場所だった。
 さすがに水産関係の業者がプロをもてなす食事とあって、出てくる料理のいずれもが、手が込んでいて、おいしいものばかりだった。近くの港から水揚げされた新鮮なものばかりということだった。
 何品目かで、ホワイトタイガーの刺身が出てきた。ブラックタイガーは有名だが、それとは別の種類の淡水海老らしい。なんでも繁殖率が低いらしく、かなり高価なもので、一般の市場にはあまり出ていないとのこと。
 しかし直前までどろどろの養殖池を見学してきたばっかりで、こんなもの食べて大丈夫だろうかと思う。でもプロがプロのために用意したものだからと考えて、思い切って食べてみるとこれがうまい。やはり食わず嫌いは良くない。
 さてホワイトタイガーの次にウェィトレスが運んできたのが、砕いた氷の大きな山であった。直径80cmくらいありそうな大きなお盆に、高さ40cmくらいの富士山型に氷が盛ってあるのだ。その氷の斜面一面に、生の牡蠣が貼り付けてあるのだ。
 生の牡蠣は嫌いではない。嫌いではないが2回あたったことがある。宝くじ
なら大いに当たりたいが、貝にあたるのはもう金輪際ごめんというくらい苦しかった。そんな記憶が脳裏をかすめる。レストランの窓を眺めると、外の景色が熱気でゆらゆらゆれている。そうだ今は5月、タイでは最も暑い季節で、外の気温は優に40度を超えているのだ。
 ヒトの心配を知ってかどうか、タイ人の担当者が、「これは採れたてで新鮮である」ことと「唐辛子とにんにくのあげたもの、そして得体の知れない葉っぱを一緒に食べると毒消しになる」などと説明している。そうかそうかと納得するわけにはいかない。なんだかんだ言ったって毒消しが必要なんじゃないか。
つまり牡蠣は毒だってことだろう。
 しかし同じ円卓に座っている団長が「これがうまいんだよね」とか何とか言ってバクバク食べている。同じテーブルの諸氏も特に気にしている様子はない。
お腹は大丈夫なのだろうか。帰り道は2時間かかるけど途中にトイレはないぞ。
男ばっかりだから野グソか。いずれにしてもウチが用意した食事で食中毒にでもなられたら責任問題になるが、お客さんがセッティングしたのだからまあそれはいいか。いやいや良くない。集団野グソだけは避けたい。
 食わず嫌いはいけない。さっきホワイトタイガーで学習したばかりではないか。しかし出来れば食べたくなかった。団長が何の疑いもない笑顔で「たかはし君、遠慮しないで食べなさい、おいしいよ」などとおっしゃるにいたり覚悟を決めた。こうなったらポジティブに物事を考えるしかない。プロが勧めてくれたのだから大丈夫と思うことにした。
 ひとつ食べてみる。もちろん毒消しの類は牡蠣の倍くらい添えて。葉っぱの臭みばかりが際立ちおいしくない。もうひとつ食べてみる。やはり命を懸けてまで食べたいとは思わない。
 添乗員の不安をよそにわがテーブルの牡蠣はきれいになくなった。見事な食欲である。お腹の辺りをさすりながらホテルへ向かう。幸いトイレのリクエストもなく、バスは渋滞に巻き込まれ3時間かかってホテルに着いた。
 ホテルのラウンジで何人かのお客様とコーヒーを飲みながら雑談をする。
「いくら新鮮とはいえ、こんな暑い国で生牡蠣なんて、よく皆さん食べられますね」と私。「え? 私ら隣のテーブルのたかはしさんが食べるのを見て、添乗員さんが食べるのならOKだろうといことで箸をつけたんですよ」とお客様。
 それ以来タイでは生牡蠣を食べてない。

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ヘヤー解禁
イランに行ったことがある。イラン航空の研修ツアーというか体験旅行というか、まあ業界向けのご優待である。追加代金を払えば友人参加もOKということで、お客様のような友達のような、ものずきな5名も参加させていただくことになった。
 例の9.11の数ヶ月前だったのだが、このツアーに参加したおかげで、イスラム世界に対するものの見方みたいなものが、少し世間の人とは違ってきた。イランに対する感じは、日本にいるイラン人の印象が悪いせいか、どちらかといえば「危ない国」といった感じを抱いている人が多いのではないだろうか。どこかの国のカウボーイ野郎が「悪の枢軸」とか言ったおかげもあるだろう。
 しかし百聞は一見にしかず。首都テヘランに着いてみたら、片側5車線の高速道路、きれいな高層住宅群、芝生の公園に噴水、その公園でピクニックをする家族連れ、フレンドリーな人たち、清潔でおいしいレストラン、とにかくダーティーなイメージからは程遠い、近代的で開放的なところなのだ。
 観光地だってたくさんある。ペルセポリスの遺跡はあまりにも有名だが、今回もっとも気に入ったのは古都イスファハンのイマーム広場だ。
 強いて旅行前から想像していた通りだったことといえば、ホメイニ師とハメネイ師、そしてハタミ大統領の肖像があちらこちらにあることと、女性が顔以外の全身を隠していることだったろうか。
 国の指導者の肖像を飾ることは、独裁国家や社会主義国で見られることだが、よく聞いてみたら、ハタミ大統領は国民の直接選挙で選ばれており、それもイスラム教の最高指導者(ということは国の最高指導者)であるハメネイ師とは一線を画している、というかどちらかといえば抵抗勢力的な大統領らしい。そういった人を選ぶことのできるイランの政治システムは、ある面では日本よりも民主的ではないか。
 それから女性の服装。ミニスカートやへそだしスタイルが最も節度あると勘違いしているアメリカ人からすれば異様な光景なのかもしれない。アフガニスタンのブルカが彼らの槍玉にあがっていたのは記憶に新しい。
 しかしイランの服装はアフガニスタンのそれほどは厳しいものではない。ベールで全身を包んでいる人もいるが、多くは頭だけかぶるようになっているマグナエというものを利用している。スカーフを巻いただけというのでも大丈夫らしい。色は黒が多いが、特に決まりはないらしく、結構カラフルなものもみかける。前髪を出すのがおしゃれで、それが茶髪だったりもする。黒のコートの裏地が赤だったり、化粧が艶やかだったり、イランの女性はそれなりにファションを楽しんでいる。
 この服装規定は外国からの旅行者にも要求される。われらに同行のおばさま方はもとより、研修ツアーに参加の他の旅行会社や航空会社のお姉さま方も、全員髪を隠している。わが同行者のMさんは、よくバスの中で首をたれてお休みになられるのだが、その度にスカーフがずれ落ちてガイドから注意を受ける。旅行者の身だしなみはガイドの責任らしい。
 参加者の中で一番若い女性は某韓国系航空会社の地上スタッフの方だった。多分20代半ばくらいだったと思うが、詳しくは知らない。その彼女はスカーフからちょこっとかわいらしい前髪を覗かせているのだが、もちろんそれ以上は見ることができない。ホテルの自分の部屋に帰らない限りスカーフをとることは許されないのだ。
 それとなく観察していると(べつに興味があったわけではないが)、結構キュートな顔つきをしている。ただいまひとつ自信がないのは、ヒトの美醜というのは、顔面の造作だけではなく、耳やヘアースタイルや、そういった総合評価によると思うのだ。
 観察の結果、どうも髪の毛を見たくなってきた。しかし歩いている最中にスカーフを奪うわけにもいかない。たまたまホテルで隣に部屋になったことがあったが、まさか壁に穴をあけるわけにもいかず、そっと耳を澄ましていると(べつに興味があったわけではないが)、大きなくしゃみが3回。キュートな顔には似合わないくしゃみだ。
 結局8日間の旅行が終了し、成田空港の税関でヘアー解禁となった。やはりかなりかわいい。それからは髪の毛を隠すこともなかなか悪くないなと思うようになった。

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