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喪服の天使たち
タイには飲み屋がたくさんある。しかしタイ人は酒に強くない。体質的にそ

うなのか,あるいは財布の中身がそうさせるのかわからないが,少量の酒で結

構気持ち良く盛り上がっている。

 タイでは酒を飲んではいけない日,というのが存在する。仏教の重要な日や,

大きな選挙の当日は禁酒日となっている。仏教の日は敬虔な仏教徒の多い国と

してはもっともであるが,選挙の当日というのは,いかにタイ人は酒癖が悪く,

見かけによらず狂暴かという証かもしれない。

 この禁酒日には,酒の販売はもちろん飲み屋や風俗店の営業も休止となる。

外国人の多いホテルでも,自分の部屋以外では飲めない。繁華街は灯が消えた

ようになり,人出もまばらになる。

 しかし中にはどういったコネクションを使っているのか,営業しているナイ

トクラブがあったりする。もちろん酒は出さないのだが,本来禁止されている

営業はしているのだ。

 1995年に現国王陛下のお母様が亡くなった。そして8ヶ月にも及ぶ服喪

期間を経て,葬儀が3日間にも渡って執り行われた。

 丁度葬儀の初日からバンコックに3泊という団体の添乗員をしていた。構成メ

ンバーは,朝から酒をグビグビといった酒豪ばかりだったので,ちょっと気の思い

添乗であった。

 そんな厄介な日ははずして旅行すれば良いではないか,と思われるかもしれ

ないが,葬儀の日程が正式に決まったのが1ヶ月前なのだ。わかった時点での

日程変更は難しかったのだ。

 さてそんな彼らをせめて若い女性を侍らせる店へ行って機嫌をとらねばなら

ない。飲み物はコーラだが贅沢は言ってられない。100軒近い日本人用ナイ

トクラブが並ぶタニヤ通りに行けば,こっそり営業している要領の良い店の2

軒や3軒はあるだろう。

 ところがである,なんとこの日は1軒たりとも開いていない。本当に真っ暗

なのだ。店の掃除に来ているスタッフらしき人に訊いても,今日はどこもやっ

ていないだろうとのこと。ここで私達はタイ人の王室に対する敬愛が半端でな

いことを思い知らされた。そうだ,街を歩いている人はみんな喪服じゃないか。

公務員にいたっては,この8ヶ月間ずっと黒い服を着て仕事をしていたではな

いか。うかつだった。

 それでは部屋で飲もうということになった私達に,ある情報筋から郊外で営

業している店があるという噂が届いた。みんなヒマだからちょっと行ってみる

かという事になり,こそこそとタクシーに乗り込んだ。

 到着した店はやはり真っ暗で,ガセネタだったかと帰ろうとしたところ,奥

から人の影が。やはり営業していたのだ。

 中へ入るとボリュームを落としてカラオケをやっている。美女も侍っている。

まずマネージャーが出てきて,酒は出せないこと,美女は奥の部屋で選べるこ

とを告げる。

 慣例に従って奥の部屋に入った私達は,思わず笑ってしまった。

 そこはいわゆる雛壇式のガラスの部屋になっており,20人以上の美女とな

かにはそうでもない女性がいたのだが,なんと全員喪服に番号札をつけて微笑

んでいたのだった。

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シクロよどこへ行く
ベトナムに初めて行ったのは1989年である。いまや雑貨で人気の地となってしまったが、当時はガイドブックもわずかに『地球の歩き方フロンティア』が出たばかりで、内容もあまり信頼に足るものではなかった。私達は、ホーチミンシティーのドックラップホテルに投宿していたが、夕食後最近オープンしたというフローティングホテルのディスコに行こうということになった。しかし行き方がわからない。ガイドブックにもまだ載っていない。ホテルのフロントあたりで訊けば良かったのだが,シクロを利用すれば良いだろうということになり,とりあえずシクロのたくさんいるレックスホテル前へと出向いた。今でこそぼったくりで悪名高いレックスホテル前のシクロだが,当時はそんなことは知らないから,いいように交渉を始めた。こちらは私を含め男性4名に女性のMさんを加えた5名だ。相手は約30台。負けるわけにはいかない。長い交渉の末2,000ドン(約20円)で話しがついた。基本的には1人1台だが,女性1人ではちょっと危険そうだ。ここは添乗員としてナイト役を引き受けなければなるまい。Mさんと2人でシクロに乗る。軽快に滑り出すはずであったが,少々重いらしくなかなかスピードが出ない。他の3台はすでに遠い。それもなぜか3台とも別の方向に走っている。なんかへんだがいまさら文句を言っても始まらない。こちらは息を切らしている運転手に労いを込めて「あるかどのくらい距離?」とインディアン英語で尋ねる。「それある30分」と運転手もすでにインディアンになりきっている。30分とは結構な距離ではないか。4台がばらばらなのは,きっといろんな道があったのかもしれない。それにしてもさっきから15分は乗っているが,暗い道ばかりである。やはり開発途上の国はこんなところからはいあがるのかもしれない。などとアジア経済の行く末をあれこれ思案していると突然タイヤがパンクしてしまったのだ。やはりMさんは軽くはなかったのだ。運転手に悪い事をした。目的地には着いていないが2,000ドン払ってやろう。私はなんて心が広いのだろうか。運転手の感謝を顔を思いながら汚い札を渡すと,あろうことか「約束は100ドル」だとぬかす。100ドルといえば約束の500倍である。「ふざけんじゃない!」と日本語で怒鳴った瞬間,私達を取り囲むおよそ10台のシクロに気がついた。私1人だったらおとなしく100ドル払ったことだろう。しかし今はMさんが隣りにいる。こんなことではナイト役にならないではないではないか。意を決して運転手に切り出した。「もう少しまけて欲しい」と。彼もなんだかんだいって結構いいやつだった。100ドルを15ドルにしてくれたのだ。気が変わらないうちにお金を渡して,とにかく明るい道に出ようということになった。幸い100mくらい先が大通りのようだ。大通りに出て驚いた。すぐ目の前がドックラップホテルだったのだ。この話しには続きがある。あとの3台が心配しているはずなのでとにかく急いでフローティングホテルに行かねばならない。ホテルで尋ねると1時間10ドルでホテルの車がチャーターできるらしい。最初からこれにすれば良かったのだが,とにかく3時間借りることにした。ホテルのボーイが運転手だ。「距離どのくらいあるか?」と尋ねると「2kmでございます。サー」とまともな英語で返事が。2kmといえば歩くには遠い距離だな,と考え ているうちに「到着しましたです。サー」とのこと。なんか2kmにしては早かったような気がする。とりあえずみんなと合流でき,他の3台もいろいろと事件があったりして,それでも無事であったことを喜びつつディスコの客となったのだ。ディスコは別にどうってことない普通のディスコで,1時間くらい遊んで,今度は全員でホテルの車に乗って帰った。やはり今度もあっという間にホテルに着いてしまった。翌日最上階のレストランで,ビュッフェスタイルのそこそこ美味しい朝食を摂っている私達にすばらしい景色が目に入った。すぐ眼下にフローティングホテルが見えたのだ。徒歩でも約5分くらいだろうか。

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